1999年3月2日に日本政府と大韓赤十字社の全面的なバックアップにより開館した。
現在80人が入所しているが、65歳になったら、サハリンに住んでいる方に帰国したいかを確認し、帰国希望者には施設かアパートを選択でき、費用は赤十字社が負担をしている。
入所者は、日本語、ロシア語、朝鮮語をしゃべれる方が多かった。
これは植民地による影響だが、入所者は日本の植民地時代はよかったと言ってもらえたのが唯一の救いだった。
みんなで日本の童謡を歌ったのが印象的だ。
現在80人が入所しているが、65歳になったら、サハリンに住んでいる方に帰国したいかを確認し、帰国希望者には施設かアパートを選択でき、費用は赤十字社が負担をしている。
入所者は、日本語、ロシア語、朝鮮語をしゃべれる方が多かった。
これは植民地による影響だが、入所者は日本の植民地時代はよかったと言ってもらえたのが唯一の救いだった。
みんなで日本の童謡を歌ったのが印象的だ。