いろいろあった年度だったが、特に年度末で大震災。
年度のまとめをすることもできず、慌ただしく過ごしている。
一刻も早い復興に向けて、支援をしたい。
困っている時はお互い様だから。
いろいろあった年度だったが、特に年度末で大震災。
年度のまとめをすることもできず、慌ただしく過ごしている。
一刻も早い復興に向けて、支援をしたい。
困っている時はお互い様だから。
5億円は社長のポケットマネー、残りの5億円は関連会社と従業員からのものだ。
こういった企業からの支援てありがたい。
大変な時こそ、企業の社会貢献はありがたい。
まさしく、お互い様。
支援の輪が広がることを期待します。
今まで音信不通で状況がまったくわからなかったので、電話がかかってきただけで嬉しかった。
話を聞くと行方不明者もまだいて、大変な惨状だとのこと。
しかし、住民同士で差さえあいながら避難生活を続けている。
深谷市でできることを確認し、訪問することを誓った。
子供はもとより皆さん喜んでいただきました。
避難をしている方と話をしたが、目に見えない放射線の脅威にさらされながら不安な毎日を過ごしています。
避難所を転々とし、先の見えない避難生活に疲れきっています。
今しか出来ないこと、自分にしか出来ないことをやっていきたい。
吉本興業のお笑い芸人『キャベツ確認中』も駆けつけていただき、たくさんの方にご協力をいただいた。
キャベツ確認中って誰だろうと思ったが、さすが吉本芸人、通行人が足を止めて募金をしてくれた。
赤十字と吉本の共演もなんかいい。
被災者のために自分ができることをこれからもやっていきたい。
72時間のデッドラインをはるかに越えての生還。
まだまだ生還者がいてくれることを祈るばかりです。
消防隊の方も疲労のピークだと思うが、少しの望みでがあるかぎり頑張ってもらいたい。
宿泊場所と布団と毛布のみの提供しかできず、食事は避難者が用意しなくてはならないのにも関わらず、大きなお風呂に入れて安心して生活できるだけでいいと言っていただき、受け入れ先としても嬉しかった。
早く原発問題が終息して、避難者が早期に我が家での生活に戻れることを切に願っています。
赤十字奉仕団で毎月1回、温かい食事を提供するように調整中。
深谷市赤十字奉仕団でも田野畑村赤十字奉仕団と災害時相互応援協定を結んでおり、来週25日、26日と被災地入りし、深谷名物の煮ぼうとうの炊き出しを行ってくる予定です。
余震や原発の状況を前日まで精査し、安全に留意した上で被災地入りするようにします。
今は、義援金や救援物資の募集で遠く深谷市でできることを精一杯やりたいと思います。
これほど電気のありがたみを感じた瞬間はないと思います。
光がないと心も暗くなってしまうのはボクだけでしょうか。
ライフラインが遮断された被災地の状態はこれが何日も続くのだから、たかが3時間位辛抱をしないと。
そんななか、我が街での支援やボランティアの状況を発信するために、Twitterを立ち上げた。
Twitterで全国に向けて発信したい。
早々に備蓄がなくなり閉店する店も続出。
この状況を重く見た石油会社は記者会見で、関東地方への輸送は通常通り行えると発表した。
情報社会の現在、インターネットに不確定情報が掲載されることも多々ある。
その情報に翻弄されて混乱がおこった。
情報不足って怖いと実感した。
非常時だからこそ、アンテナを高くして情報収集にあたりたい。
津波の瞬間の映像を何度も見たが、普段は綺麗な青い海が黒い重油のような水で津波として押し寄せてきた。
車や船、そして家までもが流されていく。
それを高台から見つめる住民。
目の前で今までに築いたすべてが一瞬にして津波に呑み込まれてしまった。
しかも、福島第一原発1号機から放射能漏れがおこり被爆者もいる模様だ。
災害協定を結んでいる友好都市の岩手県田野畑村とも連絡が取れず、安否が心配される。
発震直後の中継を見ていたが、津波の恐怖をまざまざと見せつけられた。
車が軽々と流され、広域火災も発生した。
今もテレビを見ているが、現実のこととは思えず、映画のCGのようだ。
しかも原発から放射能漏れが起こっている。
時間が経てばたつほど、惨劇の映像が入ってくる。
死者、不明者も1000人以上。
東日本が壊滅的な状態だ。
我が街と友好都市の岩手県田野畑村でも死者が出ているが、いまだに連絡が取れず、詳しい状況がわからない。
出来ることで支援を呼び掛けたいと思う。
高齢化社会へまっしぐらの日本で介護は必要不可欠だ。
その介護で役に立つ知識と技術を学んだ。
ほんの少しの知識で介護が楽になることができる。
参加者にも納得な講習会だった。
しかし、介護を受けずに健康に長生きしたい。
強行だったが、浦和での飲み会に参加した。
みんなは研修に参加し、その打ち上げでの飲み会だったが、ボクは担当が違うので研修には参加せず、飲み会からの参加だった。
久しぶりに会う方、初めてお会いする方など様々だが、杯を交わしながら3時間ほど語り合った。
いろいろなネタで盛り上がり楽しい一時だった。
浦和まで出向いた価値は十分あったが、家に着いたのは日付が変わるギリギリだった。
現在80人が入所しているが、65歳になったら、サハリンに住んでいる方に帰国したいかを確認し、帰国希望者には施設かアパートを選択でき、費用は赤十字社が負担をしている。
入所者は、日本語、ロシア語、朝鮮語をしゃべれる方が多かった。
これは植民地による影響だが、入所者は日本の植民地時代はよかったと言ってもらえたのが唯一の救いだった。
みんなで日本の童謡を歌ったのが印象的だ。
昨日のスキーで年甲斐もなくはしゃいでしまい、朝起きたら全身が悲鳴をあげた。
あらためて若くはないと痛感した。
温泉でリフレッシュを兼ねてマッサージに来ている。
1日リフレッシュすれば、明日からはパワー全開でがんばれそうだ。
スキーやボード、そしてお酒を楽しむなどスタイルは様々だが、みんなで和気あいあいと語れるのってなんかいい。
昼食時には、韓国土産のマッコリやビールを飲んで、ちょっとした宴会だった。
市町村は違えど、同じベクトルで同じ旗印に集った仲間だけあって、内容が濃い。
アフタースキーは、『湯テルメ谷川』で裸の語らい。
ついつい熱い議論になって、みんな逆上せる寸前。
思いつきの企画にしてはまずまずだったかなと自負している。
今度は4月に花見の予定だが、今から楽しみだ。
内容は、韓国に嫁いできた外国人のお嫁さんが早く韓国に慣れてもらうために、1対1で向き合い故郷の母の役割を担っている。
現在、韓国には中国やカンボジア、ベトナム、フィリピンなどからの20万人の外国人のお嫁さんがいる。
こういった事業を支援する多文化家族奉仕団も結成され、50人の団員がいる。
日本では、外国人の方の受け入れ体制が不完全なのに、韓国内にだいぶ先を行っているように感じた。
幾つになっても身体を動かすことは重要だし、同年代で語り合うことも大事だ。
ちょっとした同窓会みたいな感じ。
高齢者を重んじる韓国ならではの事業だ。
コンビニや免税店で買うよりもぜんぜん安い。
ツアーで海外に行った時には、地元民の利用する店にはなかなか行けないので、貴重な体験ができた。
しかし、表示はすべてハングル文字。
しかも英語も通じず、買い物に一苦労したが、逆にボディーランゲッジでコミュニケーションが図れて楽しかった。
2011年も1/6が終わった。
また、年度末で2010年度の総まとめをする月でもある。
今年度も様々な事業を行ったが、費用対効果を検証して来年度に繋げたい。
しかも来年度は異動も予想されるので、後任に引き継ぎができるように懸案事項も含め書類を整理したい。